2010年5月アーカイブ

出町の開祖は本当に二郎兵衛?

jirobei.JPG 出町(杉木新町)は、慶安2年(1649)杉木村・二郎兵衛を筆頭に16名が加賀藩に願い出て成立しました。二郎兵衛は出町の開祖として、現在五十橿神社に合祀されています。

 しかし当時は、主要な街道も幅1間ほどと狭く、物流は川を利用した舟運が主流で、陸運は発達していなかったと考えられます。出町付近にも大きな川はなく、主流は千保川(柳瀬辺りを流れていた)でした。そんなに便利でもない所に本当に二郎兵衛は町を作ろうと考えたのでしょうか。

 当時の加賀藩は、改作法を固めていた時期で、農村から商業的活動を排除し強い農家を育成しようとしていました。農村で商業的活動をしていた者とはどんな人たちか、それは農家の後継ぎになれない次男や三男たちと考えられます。この人たちは改作法によって行き場をなくしていたのではないかと考えられます。

 そこで、加賀藩は新しく町を作って、農家の次男三男を町に住まわせたのではないかと想像できないでしょうか。しかし、北陸は「農民が治める国」と呼ばれたように、百姓が強い地域で「ハイ加賀藩の命令です」と言われて、簡単に従う百姓ではなかったと思われます。そこで加賀藩は、力のある百姓を肝煎りという役職につけることで、武士と百姓の間の緩衝材としての機能を負わせたのではないでしょうか。

 出町の町立ても、武士が百姓の土地を取上げる形ではなく、百姓自らが土地を提供して願い出る形を取ることで、武士と百姓の争いをなくそうと、加賀藩が二郎兵衛らに自ら願い出る形に仕向けたのではないか、と思うのですが考えすぎでしょうか?(tonarino-oyaji)

 

夜高(よたか)制作最盛期

2010_05220011doc.jpg練り棒の上で、素肌に腹掛けの若衆が拍子木を打ちながら・・・ヨイヤサァ

引き綱が交差する時の恐怖を抑えて・・・ヨイヤサァ

街中での披露を終えて、暗闇の中を遠ざかる・・・♪杯ャ待っとるソンジャ、ヨイヤサァ

砺波の夜高は田祭り、思うように存分に楽しめばよい。

今年の東町は東曳山舞台だそうで、子供歌舞伎曳山と夜高のコラボレーション。

もしも「安永の曳山騒動」がなかったら

御車山祭.jpg安永の曳山騒動って知ってますか?

 出町の曳山は天明9年(1789)に出来たと記録にありますが、その15年ほど前の出来事です。高岡の御車山の町衆が、御車山は豊臣秀吉から前田利家が賜り、高岡・前田利長公拝領の由緒あるもので、これは高岡だけに許されたものであるから、他の町では同じものを持つことはまかりならんとして、放生津の曳山の車輪が御車山と同じ外車様式で大八車に似ているとして、寺社奉行に差し止めを申し出たことが発端です。

 この申し出は、城端・石動の曳山に対しても行われ、その後3年に渡って裁判となりました。その結果、石動は祭りの中止に追い込まれ(後に復活)、城端は内車様式に(明治期に外車様式に復活)、放生津は大八車から板車(明治期に車輪を豪華に装飾)に変更して祭りが復活しました。

 出町の人たちは当然この騒動を知っていたわけですから、本当は外車様式の曳山を作りたかったけど内車にしようと考えたかも知れません。

 また、八尾がターゲットにならなかったのはなぜかしら?と思い調べたところ、この当時八尾は内車様式の曳山でセーフだったのです。八尾が外車様式の豪華な曳山となるのは明治に入ってからで、事実八尾から大沢野に譲られた曳山は現在でも内車様式です。

 安永の曳山騒動は各地の曳山に影響を与え、その後も、一つの地域の中でも曳山を持つことは自分たちの特権と考えて、他町の曳山建造意欲を押さえてしまったりということがあったのかもしれないですね。(tonarino-oyaji)

立派なタケノコに感激

DSCN0165.JPG 少し時期遅れかなと思いながら「せんだん山特産の店」でタケノコを買ってきました。1本150円から200円。あまりの立派さに感激でした。今年は春先の低温のせいで、生育が遅れていることもあり、5月中旬にもかかわらず、味はなかなか。ウドやワサビ菜など他の山菜もたくさん並べられており、春の楽しみがひとつ増えました。(Pancho)タケノコ.jpg

昭和18,19年頃の新町あたり

 demati.jpg 先日、昭和18年か19年頃の、新町あたりの家の並びを思い出して地図を書いた方が、その地図を持ってきてくれました。

 その当時の地図と比較しようと思って、郷土資料館へ「終戦前後の住宅地図ありませんか?」と問い合わせたところ、「住宅地図が出来たのは昭和30年代なのでそれ以前のものはありません」との事。

 そこで、「これこれこういうことで新町あたりの地図なんですけど」とおはなししたところ、資料館の方が「ぜひ見せてほしい」との事でした。そのころの地図って貴重なのかも。資料館の方からは「曳山会館はこういった資料収集の施設として、郷土資料館を補完する機能を持ってほしいですね」といわれました、ガンバルぞ!。今も時々古い資料を持ってきて下さる方がいてありがたいのですが、わたくしその価値がよくわかりません。結局、資料館へ持ち込むことになると思いますので、資料館の方宜しくお願いします。

 地図を見ると、検番といって芸者さんの稽古場があったり、人力車屋さんがあったりと、けっこうおもしろいのです。料をまるで囲ってあるのは料亭だそうです。(tonarino-oyaji)

日常と非日常

yotaka.jpg

東京の人にとって、国宝を鑑賞することは日常なのではないか…と。

燕子花図屏風を観に、根津美術館へ行きました。表参道からの人の群れは途切れることなく、美術館に吸い込まれていく様子を見ていて、フト気付いたことです。

空を映した早苗田を前景にしたあずま建ち民家や真夏のアユ漁や杉木立に降る雪は、私たちにとって日常の時間と空間ですが、これを観光や交流の資源とするには「洗練された非日常化」が大切ではないかと思いました。

砺波の各町内では「夜高」制作真っ盛りです。

30分の「ケンカ」に非日常の高揚を味わうために、2か月の時間と労力をかけて…

T-シャツとカレンダーが今年も出来上がりました。

"散居村日和"

散居村眺望.jpg 北からの高気圧が張り出して、天気がよいにもかかわらず、ちょっと肌寒いような日が、散居村の眺望に最高のようです。水蒸気の発生が抑えられ、平野の隅々まで見渡せます。

 撮影スポットとして人気の鉢伏山山頂付近へ行ってきました。散居村というと、夕日が沈む光景がよく紹介されますが、初夏の日差しを浴びた水田が広がる昼間の大パノラマも神々しくてとても素敵です。休耕田の多さがちょっと残念ですが…。(Pancho)

 

戸出の曳山写真

toide.jpg戸出にも、かつて歌舞伎曳山があったことは知っていましたが、最近その写真を入手しました。

写真を見ると、高さは出町とほぼ同じかやや高いように見えますねぇ。でも、花や提灯で飾られていますが、出町のような塗りや彫刻の類は一切見えないことから、非常に簡素な曳山だったのではないでしょうか。でも、よく見るとこの曳山は歌舞伎山には珍しく、外車様式(車輪が台車の外にある)の曳山のようです。演目?はお染が確認できます。聞くところによると、戸出は芝居ではなく舞踊であったという人もいますが、ご存知の方いらっしゃいます?。

この写真は、子供の頃戸出の曳山に出演したことのある出町のS.Mさんから預かったものです。

tonarino-oyaji wrote.

子供歌舞伎からくり人形

2010_05110004.JPGのサムネール画像のサムネール画像 2010_04300035.JPGのサムネール画像のサムネール画像砺波チューリップ公園にある5輪水車の近くに「下掛け水車小屋」がありますネ。水車でからくり人形を動かしていますが、この「子供歌舞伎からくり人形」には「鎌倉三代記三浦別れの段」と説明書きがあります。 今年の「出町子供歌舞伎」の芸題と同じですね。

「ヨシムラぁ参上ぉぉぉ」と声が聞こえてくるようです!謡曲のような御囃子ですが…

(test/bunsiti)

 

 

 

"外国人さん"や~い

DSCN0097.JPGのサムネール画像 チューリップフェアが終わりました。春先の悪天候のため開花が遅れたせいで、大型連休本番の5月に入ってから見ごろを迎えましたが、好天に恵まれ、訪れた観光客も大満足だったのではないでしょうか。
 最終日、満開の会場を歩いていて気になったこと。昨年、あちこちで聞こえた中国語や韓国語の会話がとても少なく感じられました。思い過ごしかもしれませんが、海外からのお客さんが少なかったように思います。
 好悪さまざまな報道がありますが、上海万博に沸く中国をはじめ、アジア各国の経済成長は、とてもすさまじい。リーマンショックから立ち直れない日本や欧州とは大違いです。これからは、地方もアジアの元気を取り込むことがとても大切になることは間違いありません。
 そんなことを考えながら、仕事で小矢部市に出かけたら、観光案内板にハングルの記載。砺波市も負けていられないと思いを新たにしました。(Pancho)
 

五嶋家吉凶帳に『怪物現る』の記録発見

kaibutu.jpg安政五年(1858)2月に大きな地震があって、県内の被害も大きかったようですが,五嶋家吉凶帳に面白い記録があったので、紹介します。

常願寺河原に怪物

此度大地震ニ付、立山数ヶ所山抜ケ、常願寺川筋岡田村等ニ河原之中ニ四月廿七日昼四つ時此かたちの者十二三人斗り相見へ申由、風聞ニ御座候

長三尺斗、色合赤きもの、目の光り金色ニ御座候

身長1mほどで肌の色は赤く目が金色に光る怪物が出たそうな、こわやこわや。

tonarino-oyaji wrote.

散居村の夕焼け

 

砺波に生まれてよかった!住み続けてよかった!

散居村の夕焼け.jpg 砺波に住んでいながら、こんな素晴らしい夕焼けは初めてである。

一石二鳥で市民協働

   DSCN0036.jpgのサムネール画像 国史跡の増山城で4月29日開かれたタケノコ掘りウオークラリーに参加しました。
 孟宗竹の根で遺構が壊されるのを防ぐとともに、遺跡の魅力を知ってもらおうという企画。40人が参加して、砺波市教育委員会の担当者に案内してもらいながら遺構をめぐり、最後に地元自治会の皆さんに手伝ってもらってタケノコを掘りました。
 春先からの低温でタケノコの生育はいまひとつ(そのほうが遺構にはよい?)でしたが、朝方の雨も上がってすがすがしい晴れ間が広がり、ウオーキングには最高の日和。遺構の壮大さにふれ、、お土産に1人1本程度のタケノコをもらって大満足でした。
 今回の企画は、募集初日で定員いっぱいになったとか。市民協働などというと堅苦しく感じますが、楽しみや“ご利益”がプラスできれば、みんな気軽に地域の役に立つことに参加してもらえるということのよう。毎年春に「歴史を学んでタケノコ掘り隊」なんて企画をしたら、孟宗竹の被害なんてすぐに解消できそうです。
 市教委のアイデアに脱帽でした。(Pancho)

(増山城から見た和田川。こんな眺望があったなんて…)

DSCN0062.jpgのサムネール画像
 

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