img_0_m[3].jpg詩人稗田菫平さんを偲んで

 

尾田武雄

 

昭和四五年ごろ、現代詩を書き始め、稗田氏の書斎に出入りを許されて、もうかれこれ四五年も経た。私が団塊世代であるので二十歳代である。先生の多くの詩集の中で、心魅かれたのが『氷河の爪』(思潮社刊)である。冒頭の詩「言葉を岩に置き換えて」の詩の中に「言葉を岩にして俺は眠ろう」の語句には強烈な印象が残っている。当時私等の詩は、旧来の言葉を打ち毀したところに存在していたと理解していた。

 

私が主宰していた詩誌『賛聲』七号(昭和四七年刊)に稗田氏のこの詩集の評論なるもの発表しているが、稗田氏のことを「黙々と言葉の信頼をもって書き続けている。菫平氏の容貌と瞳の中に、芭蕉や西行の世界を見出すことができるのである」とあり、稗田氏には、私を惹きつける魅力が充分あった。昭和四五年は西暦一九七〇年であり、意識的にも六〇年安保を引きずっていた混沌の時代の中に、岩にしがみつく農耕詩人のような感性が息づいていたと思われる。

 

稗田氏の昭和二三年発刊の処女詩集は『花』(野薔薇社・富山石動)である。幻想的抒情詩と耽美主義が渦巻いている。長く詩作をされた稗田氏の詩の根本はこの詩集にありと私は感じている。たくさんの詩を作られ多くの詩集を上梓されたが、この処女詩集『花』に帰ろうとする意識が稗田氏の詩作品から滲み出ているような気がする。「重荷を下ろしなさい」のわずかな一詩行に、しがらみからの解放を願っているかのようである。

 

第二詩集は『白鳥』である。昭和二五年に東京の日本芸業院から、棟方志功の装丁である。詩に重要なセンチメンタリズムが流れ、ファンタジーの世界が充満している。私は稗田氏の詩の世界に中原中也や室生犀星を感じたりもしていた。

 

稗田氏からは多くの刺激を受けていたが、訃報を聞いて漠然としている。私にとって偉大なる現代詩や郷土文芸の大事な師でもあったからこそである。でも多くの著作品を残され、それを読み直してみたいと思っている。
 

砺波型狛犬

DSC_0039.jpg砺波地方に多い狛犬です。私は、「砺波形狛犬」と命名しました。阿形、吽形ともに口を開けています。明治後期から昭和初期に造像されています。井波の森野善四郎作でです。砺波市庄川町湯山牛嶽神社にあります。

 

チューリップを見つけた!

DSCN6643.jpg駅前周辺の道端で、チューリップを発見しました!どこかわかりますか?

 

「となみ野 散居村の記憶」発刊

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 砺波平野の散居村は、広さ220平方km。散居民家数約8000戸。
その景観が近年の構造変化でどんどん変わり、更には空き家も多くなっています。
この本は
「散居村を形作ってきた農村風景、その周りを取り巻いている里山、散居村の中で形成されてきた町等の変遷を、その環境とそこに息づいていた人々の姿を活写し書き留めておく必要がある」(本文より)
 
という熱い思いから、80名余りの執筆者が集い企画発刊されたものです。
 
 
著 者:NPO法人 土蔵の会
定 価:¥2400(税込:¥2592)
発行日:2015.7 .7
ISBN:978-4-905345-85-5
判 型:B5変形
頁 数:348 頁
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目  次

 
発刊にあたり          NPO法人土蔵の会理事長 尾田 武雄
発刊のお祝い    散居村地域研究理事長京都大学名誉教授 金田 章裕
散居景観の進化                      佐伯 安一

第1章―庄川・小矢部川と里山

松川除の金毘羅さん                    斎藤 譲一
江戸彼岸桜のある風景                   間馬 秀夫
庄川とともに                       志部間知則
里山の暮らしと山村風景                  池田 栄一
小学生時代・山村のくらし                 加藤 義昭
中山間地での米作り                    山岸 銀七
コクボのナタヘゴ(鉈鞘)                 加藤 享子
刀利の父・山崎兵蔵先生を慕う               谷中 定吉
庄東里山の思い出                     河原 誠
ダムのあるまちの風景                   間馬 秀夫
小矢部川上流の刀利ダムと臼中ダムの建設を振り返って    東 善一郎

第2章―散居村の暮らし

第一節 となみの農業・圃場整備
すゞ日記                         高原 徹
「村の農業」 今昔に想う                  入道 忠靖
五石取りへの道  現代農業への誘い            間馬 秀夫
家族農業と共同作業の想い出   
                                                                     佐藤 章一
むかしの田んぼ仕事 ―子どもの手伝いの視点から―     安カ川恵子
私の記憶(南砺市舘の昭和30~40年代を中心に)     湯浅 直之
牛との別れ                        千場 義信
黒牛と父、私                       仁木 九司
鍛冶村における田植と稲刈り風景              開 眞一
戦後の農村生活(大田村を中心として)           宮脇 逸郎
子供時代の農業とその思い出                飯田 陽久
鷹栖雑感                         中明 文男
チューリップフェア64周年に想う             入道 忠靖
散居村を大きく変えた圃場整備               野村 幹夫
竹林の地名と圃場整備事業                 竹田 義治

二節 村の環境・生活
村の狭間における我が家の風景               川原 国昭
記憶の中の道                       竹部 孝則
子供の頃の私の村                     小竹 勝則
大門に生まれて                      土田 豊成
女性が支える砺波の暮らし                 大楠 匡子
散居とカイニョ                      柏樹 直樹
散居村のカイニョに住まいして               杉森 孝一
川をカイて、魚をつかまえた頃               白井 秋広
油田にこだわり                      松井 克栄
油田に住み続けて                     松井 義行
散居に暮らす                       老松 邦雄

第三節 民俗・風習
昔の嫁取り 一幕六場                         
砺波の風土                        須摩 孝一
子どもの夜高(よーたか)                 高原 徹
田祭りと散居村                      小幡 豊
残したい獅子舞のある風景                 長谷川 徹
広瀬舘少年消防クラブの記憶と展望             上田 伸一
若衆報恩講                        小竹 勝則
荒間道場の報恩講                     柴田 敏秋
井波別院聖徳太子巡回布教といのり             竹部 俊恵
子どもの遊び                       沖田 泰子
散居村にまつわる少年時代の追憶              黒田 和也
本当に楽しかった子ども時代の遊び             館 俊博

第四節 文化・教育
昭和30年代の学校―地域の学校              松村 樹
砺波で彫刻を始めた頃                   藤井 治紀
公民館活動と公民館だよりの思い出             山田 薫
公民館活動―太田地区の場合                尾田 武雄
取って置きの手紙                     金子 容士
砺波青年芸術集団「すばる」、草創のころの星たち       加藤 博史
文学と農業                        春川 正人
「土蔵の会」発足のころ                  原田 典子
田園での音楽雑感                     白江 秋広

第五節 散居村の中のマチヤ
少年時代の出町の思い出                  神田 政一
散居の町と用水のかかわり                 広瀬 慎一
散居村の中の小さい町太田新町               尾田 武雄
高波村の四つ角の記憶                   白江 秋広
「ぼうや、ぼうや」と呼ばれて               小野田祐司
子供の頃の出町の暮らし                  大澤 晴美
津沢夜高あんどん祭によせて                浅地 政博
写真で見る懐かしの福光町商店街              上田 伸一

第3章―歴史、自然
米作りの砺波

第一節 散居村を訪れて
城端線で語る郷土史                    樽谷 雅好
城端線のこと                       須摩 孝一
加越線に魅せられて                    木本 尚志
砺波平野に臨む古墳                    西井 龍儀
地中の記憶は時空を超える                 野原 大輔
砺波の植物あれこれ                    高木美奈子
千保川、散居村を流れて高岡へ               新井 雅夫

第二節 散居村の歴史と未来
散居の中を流れた戦前、戦後の私の体験           入道 忠靖
昭和19~20年の砺波平野における学童集団疎開の記憶   須山 盛彰
戦時下三谷地下工場建設の作業部隊             平野 晋
加藤金次郎と庄川                     澤田 純三
美を求めた天才建築家吉田鉄郎               山田 妙子
棟方志功、砺波へ。                    太田 浩史
実業家岩川毅と散居村と七福神               尾田 武雄
景観・まちづくり                     近江 美郎
市議会から考えてみたいこと                西尾 英宣
疎開した大澤雅休                     間馬 秀夫
日本の方言研究ととなみ野                 中井 精一

となみルネッサンスⅢ~散居村の記憶~なみ散居村学習講のあゆみ

あとがき          となみ散居村ミュージアム館長 白江 秋広

第7回散村地域見学会の一コマ

DSCN1770.JPG 9月28日午後、砺波散村地域研究所では、第7回散村地域見学会を行いました。これは、砺波のことをより深く理解し、魅力を再発見しようという目的で年2回実施しているものです。今年は、砺波の人々の精神風土の土台ともなっている信仰について考えてみようということで、そこにこだわった見学内容となりました。

 第7回となる今回は、城端別院善徳寺の移転と蓮如を中心に回りました。越前の吉崎御坊を拠点として越中への進出を図っていた蓮如が、加賀と越中の境にある山深い砂子坂に創建した善徳寺。それが、その後どのようにして現在の城端に移転していったのか、そこにそのような思いが隠されていたのかなどについて考えてみようとしたのです。

 砂子坂、法輪(林)寺、山本、福光、城端と順を追って回ればよかったのですが、午後半日という時間の制限もあって、行けたのは、山本、福光、城端でした。日頃何気なく見ていた城端の善徳寺に、様々な歴史の舞台があったのだということを感じた意義深い時間となりました。(杉森)

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