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尾田武雄
昭和四五年ごろ、現代詩を書き始め、稗田氏の書斎に出入りを許されて、もうかれこれ四五年も経た。私が団塊世代であるので二十歳代である。先生の多くの詩集の中で、心魅かれたのが『氷河の爪』(思潮社刊)である。冒頭の詩「言葉を岩に置き換えて」の詩の中に「言葉を岩にして俺は眠ろう」の語句には強烈な印象が残っている。当時私等の詩は、旧来の言葉を打ち毀したところに存在していたと理解していた。
私が主宰していた詩誌『賛聲』七号(昭和四七年刊)に稗田氏のこの詩集の評論なるもの発表しているが、稗田氏のことを「黙々と言葉の信頼をもって書き続けている。菫平氏の容貌と瞳の中に、芭蕉や西行の世界を見出すことができるのである」とあり、稗田氏には、私を惹きつける魅力が充分あった。昭和四五年は西暦一九七〇年であり、意識的にも六〇年安保を引きずっていた混沌の時代の中に、岩にしがみつく農耕詩人のような感性が息づいていたと思われる。
稗田氏の昭和二三年発刊の処女詩集は『花』(野薔薇社・富山石動)である。幻想的抒情詩と耽美主義が渦巻いている。長く詩作をされた稗田氏の詩の根本はこの詩集にありと私は感じている。たくさんの詩を作られ多くの詩集を上梓されたが、この処女詩集『花』に帰ろうとする意識が稗田氏の詩作品から滲み出ているような気がする。「重荷を下ろしなさい」のわずかな一詩行に、しがらみからの解放を願っているかのようである。
第二詩集は『白鳥』である。昭和二五年に東京の日本芸業院から、棟方志功の装丁である。詩に重要なセンチメンタリズムが流れ、ファンタジーの世界が充満している。私は稗田氏の詩の世界に中原中也や室生犀星を感じたりもしていた。
稗田氏からは多くの刺激を受けていたが、訃報を聞いて漠然としている。私にとって偉大なる現代詩や郷土文芸の大事な師でもあったからこそである。でも多くの著作品を残され、それを読み直してみたいと思っている。