私は砺波平野の東の端の方で育ちましたが、小さい頃はコンクリートではない土や石垣に囲まれた川がほとんどで、網や釣りでよく魚を獲っていました。また、季節になると野イチゴ、グミ、柿、栗、アケビ、ザクロなど、おやつ代わりに食べたものでした。一番おいしい柿の木はどの家の木か、一番大きい栗がなる木はどの家の木か、みんなが知っていました。遊びも、今になって思うと「よく死ななかったなぁ」と思うようなことをして遊んでいたものです。
しかし、昭和40年代に圃場整備が始まると、平野は一変しました。平野といっても各地に起伏があったのですが、平野はまっ平になり、土や石垣の川はコンクリートの川になってしまいました。昔から変わらないと思っている散居村の景観も大きく変わっているんですね。
掲示した画像は、砺波平野の航空写真(なんかのパンフに載ってました)です。瑞龍寺を水害から守るために締め切られてしまった「千保川」の川跡が確認できるの、わかりますか?(tonarino-oyaji)