8月18日、城端線を考えるシンポジウムが曳山会館で開催されました。北陸新幹線の開通を控え、廃線の恐れのある城端線の存続と活性化に向けたシンポジウムで、前半は、沿線の福光・福野・井波・砺波工業・砺波・高岡南の6つの高校の生徒たちが、通学手段としての城端線の現状やアンケートの集計結果からの城端線の在り方、存続への思いを発表しました。
後半は、高校生12人と県立大学准教授・小林一也氏とのパネルディスカッションが行われ、「早退したくても運行本数が少なくて早退もできない」「多少の運賃値上げをしても本数、車両数を増やしてほしい」「自転車を車内に持ち込めるサイクルトレイン化をしてはどうか」といった切実な願いや、若者らしい感性を活かした改善策が提案されました。
また、このシンポジウムの1時間後、同じ会場で砺波・南砺市議会議員研修会が行われ、テーマが「北陸新幹線が走る前に考えておきたいこと」で、新幹線利用者が便利になるように、新幹線利用者を増やすために、高岡駅周辺をどう整備しようかとう講演会ですが、要は「新幹線よ早く来い」という内容です。
シンポジウムと講演会を聞いていて、明治3
0年に開通した中越鉄道(現在のJR城端線)生みの親ともいうべき、初代中越鉄道社長・大矢四郎兵衛(鷹栖村出身)がこれを聞いたらどう思うだろうなぁと、思ったのでありました。明治30年といえば、北陸本線もようやく福井県から石川県に入った頃で、金沢駅など影も形もなく、砺波地方の人々も汽車を見たことのある人もほとんどいない時期で、富山県内初の鉄道事業が中越鉄道(城端線)だったのです。この鉄道事業が、砺波地方の産業や文化の進展に大きく貢献したことは言うまでもなく、まさに砺波地方発展の恩人なのです。
1日で「陰と陽」「表と裏」「強と弱」のような話を聞いてしまい、「なんだかなぁ」という、なんともいえないモヤモヤ感が残った1日でした。(tonarino-oyaji)