川とともに生きる
(歴史を語る記念碑)

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 川は,昔から人々の生活と深いつながりがありました。人々は長い間川を利用し,川と生活してきました。川と人間のかかわりは,今でも石碑などを通してふれることができます。人々は石碑にどんな願いをたくしたのでしょうか。石碑にまつわる歴史を調べてみましょう。

帰雲城(かえりくもじょう)
岐阜県白川村

戦国時代のころ,帰雲城はこの地方をおそった大地震で300戸が地中に埋まってしまいました。今でも山のくずれた跡が見られます。

おさよ投身の地(上平村)

おさよときちまとの恋の伝説が有名。近くに二人が会った女郎ヶ池(じょろうがいけ)があります。

牛だけ車道開通記念碑
(庄川町)

利賀村高沼に石灰のとれる山があり,そこから荷馬車で運送する道ができたことを記念する石碑です。一度見てみよう。すごく大きいよ。

鷹栖口用水守護所
(砺波市中野)

鷹栖口用水の安全を祈ってつくられました。人々の用水に対する願いを考えてみよう。

弁財天(べんざいてん)
庄川町

庄川の洪水から人々を守る水神様がまつられています。

御川除(おかわよけ)の銘のある石仏(砺波市中野)

庄川流域には,このような石仏がいくつもあります。歩いて探してみよう。

  中筋往来の三十三石仏
(庄川町)

この中に三十三ある石仏のうちの一つがあります。さて,どれでしょう。

千保口用水取り入れ口跡

以前はここから砺波市の東部方面の用水を取り入れていました。

水神(高岡市中田)

中田橋沿いに,「水神」と書いた石碑があります。

水神(砺波市中野)

雄神橋の近くにも「水神」がありました。庄川にはいくつあるのでしょう?

  水害復興記念碑
(高岡市中田地区)

昭和9年の水害のことが書いてあります。昭和9年の水害はどんなだったのだろう?

天然記念物「あしつき」の記念碑(高岡市中田)

「あしつき」ってどんなものなのだろう。調べてみましょう。

水害復興記念碑
(大門町浅井)

昭和9年の水害のことが書いてあります。

JR大門駅にある洪水水位標

昭和9年の洪水で実際に水がどこまできたかがわかります。

水害復興記念碑
(大門町浅井小学校)

昭和9年の水害のことが書いた石碑は浅井小学校にもありました。