続・散居村と散村の用語について

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北日本新聞で「散居村」は富山弁?という「記者ブログ」で、散居村は何時から呼ばれるようになったのか気にかかり調べてみた。1952年の朝日グラフに掲載されているが、他には

1964年(昭和39年)砺波市発刊「となみ」では、1頁変革で「ここには全国稀に散居村が形成され」とある。昭和37年『鷹栖村史』中の「砺波野、散居村落についての一の観察」で「鷹栖村は砺波平野の中央にあって、砺波散居村の典型をなしている」とある。また1958年(昭和33年)『砺波市商工名鑑』中の「観光のとなみ」欄3頁で一番に「散居村」を取り上げている。

 この時期、普遍的に「散村」ではなく、「散居村」の語句が使用されている。また北日本新聞の昭和4913日付には佐伯安一氏が「砺波散居村の歴史的性格」の一文が寄せられている。

  散居村の用語は、本来散居村落の「落」が省略され、散居村として親しまれている歴史がある。砺波の散居村が全国的に稀な広がりがあり、市民には地理学的用語の「散村」よりも、「散居村」より浸透したのだと思われる。

「広報となみ縮刷版」第一巻を見てみますと、昭和29725日発刊の「砺波市広報№4」には「砺波の散居村調査 村松教授等によって」とある。「砺波地方における散村形態は日本で二三の地方にしかない珍しいものとして、かねて地理学者に調査研究されてきたが、大阪市立大学文学部教授村松繁樹氏ら地理教室員六名が十四日から三日間来町された。この夏季休暇に行われる学生の研究の準備のためであって、八月下旬に学生十数名が真光寺に合宿、散村における経済、交通、生活状態など各般にわたり調査が実施される」とある、ここでも砺波市では「散居村」、研究は「散村」と区別しており、賢明な記述である。