

砺波平野の町々を結んだ城端線は、
地域の豊かな文化を育んできました。
かつて出町子供歌舞伎曳山には
臨時列車が運行され、
城端むぎや祭には「むぎや号」、
チューリップフェアには「チューリップ号」が
満員のお客さんを乗せて走りました。
地域の魅力を育て、運ぶ城端線を、
あらためて見直してみませんか。


大正11年に石動―青島町(庄川町)が全線開通した加越線は、となみ野を東西に走り、南北に貫く城端線とともに、地域の交通網を支えてきました。両線が交差する福野駅や、北陸線と接続する石動駅は大変なにぎわいでした。
しかし、マイカー普及などで昭和47年、あえなく廃線。反対運動では「あなたの土地は地図からなくなりますよ」といった過激なポスターが張られましたが、その言葉通り沿線の活気が急速に失われていきました。
平成16年には、福野町、井波町が南砺市に、庄川町が砺波市に合併。女子高生であふれた津沢や、小矢部川対岸の薮波は、地図にほとんど記されなくなりました。
もし、城端線がなくなったら…。