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増山城(国史跡指定)

 砺波市東部の庄川支流、和田川東岸にあり、南北朝から中世末まで続いた典型的な山城。越中三大山城のひと つとして知られ、戦国時代は神保氏の重要拠点であった。
 一の丸は標高110メートル。和田川に面した80mの崖の上にあったとされ、格好の自然条件に恵まれていた。永禄3年(1560年)、越後の長尾景虎(上杉謙信)に攻められて落城。天正9年(1581年)には佐々成政、同13年(1585 年)には前田利家の所轄となった。前田氏の時代、城主を中川宗半(光重)が務めたのを最後に、元和年間、一国一城令により廃城となった。 県指定史跡で、平成21年5月に国の文化審議会が国史跡指定を答申している。
 和田川を挟んだ西岸には、城下町が広がっていたとされ、砺波市文化財の土塁が今も残ってい る。城跡内には、二の丸、三の丸跡が残り、空堀や石垣なども残っている。二の丸跡には、通称「神水鉢」と呼ばれる石鉢があり、日照りにも決して水 がかれなかったといわれる。二の丸下の又兵衛清水は築城の折、家臣の山名又兵衛が発見したと伝えられ、今も枯れることなく水が湧き出している。
 市道増山正権寺線の和田川に架かる橋詰と、和田川ダム側から遊歩道が整備されており、気軽に 登ることが出来る。

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