木彫の町・井波-町筋に響く鑿を打つ槌の音(その2)

図版1.JPG今、机の上に一冊の本がある。『井波美術協会総史』である。多分、平成20年という節目に、井波の美術活動の歴史を集約する記念冊子刊行の運びとなったのだろう。本書では「Ⅰ.明治・大正期の前史から昭和40年頃まで」と「Ⅱ.昭和40年代から平成19年まで」の二つの文章で、井波の美術の通史が綴られている。それによると、明治初頭から国を挙げて開催された内国勧業博覧会への入選、1907年(明治40)に始まる文展への入選が重大事項として記されている。井波の木彫や漆芸といった工芸の分野で技を磨き鍛えた先人たちの活躍である。そうした流れを受けて結成されたのが井波工芸美術協会で、第一次資料では未だ確認されていないが、同協会の創設は1942年(昭和17)であったようだ。こうした工芸中心の動向はやはり井波彫刻の伝統があったからこそだが、時代は常に動いている。それを敏感に感じ取り、井波の工芸が時代に後れを取らないように、あわよくば時代を作るうねりとなれば、と願った人物がいる。町長の綿貫栄である。図版2.JPG
綿貫は教育制度こそが次代の人材を育むとの思いから、井波町立の商工学校の創立を構想し、1934年(昭和9)に鹿児島県生まれで東京高等工芸学校図案選科を卒業したばかりの小山田政義(後の板橋一歩)を招いた。この構想自体は実を結ばなかったが、小山田は井波にそのままとどまり、戦後、井波の彫刻を牽引する一翼を担うことになる。綿貫の目論見のもう一つは、富山市岩瀬の出で、漆芸世界に現代性・前衛性を問うた山崎覚太郎を井波の職人気質の面々に引き合わせ、美の創造への心意気を植えつけることであった。技に魂を吹き込もうとしたとも形容できようか。伝統工芸にデザイン性を問うことで、まさに今を生きる工芸作品を生み出そうとした。そのために県内の識者に広く指導も仰いでいる。こうした一連の動きは、伝統産業から脱却して美術へと向かうために必要な助走であったといえよう。そして戦後に再開された日展で井波の工芸は見事な跳躍を見せる。
図版3.JPG敗戦間もない1946年(昭和21)に変則的に2回の日展が開かれ、井波の工芸作家都合5名の作品が入選している。そして翌年の日展には7名の作品が入選を果たした。その中で特筆すべきは、西田秀が井波で初めて第三部彫塑に《牛》で初入選し、さぞや若手を刺激し鼓舞したことだろう。
以下、蛇足かもしれないが、戦後の日展の第1回展から3回展までの富山の作家の入選状況を記しておく。工芸富山と井波の躍進、西田の初入選の偉業の程が数字ではっきりと分かろう。
第1回日展
第一部絵画(日本画) 1点
第二部絵画(西洋画) 0点
第三部彫塑 0点
第四部美術工芸 14点
第2回日展
第一部絵画(日本画) 1点
第二部絵画(西洋画) 2点
第三部彫塑 2点
第四部美術工芸 25点
第3回日展
第一部絵画(日本画) 0点
第二部絵画(西洋画) 1点
第三部彫塑 3点
第四部美術工芸 30点
(社団法人 日展発行『日展史16 日展篇一』1987年による。)
図版4.JPGその後の日展の彫塑に初入選した順に名を挙げるならば、1949年(昭和24)に横山豊介、1950年(昭和25)に宮﨑辰児、1951年(昭和26)に板橋一歩と柳沢英一、1952年(昭和27)に得能節朗、その翌年に堀豊之が続く。井波の彫刻の勢いが後押ししたのかもしれない。1955年(昭和30)に前述の工芸作家中心の井波工芸美術協会に彫刻の作家を糾合する形で井波美術協会が設立され、今日まで井波の美術の歩みに光を灯し続けている。図版5.JPG
少々長々と歴史を書き連ねてしまったので、ここからは何枚かの写真を見ていただこう。門前町の要の瑞泉寺山門から町へ出ようとすると、すぐに両脇を固めるかのように石垣が左右に延びている(図版1)。とても寺院とは思えない威容である。まさに砦の機能も果たしうる施設であったと合点が行く。そこを抜け、右手2軒目に野村清宝さんの工房がある(図版2、3)。通りに面した一室が工房で、前面透きガラス戸になっており、通りからも中の様子がよく分かる(図版4)。そぞろ歩きする観光客に、彫りの技を見せるための設えなのだ。主の野村清宝さんは井波の木彫工芸作家として活躍する一方で、その伝統を受け継ぐ後継者の育成に当たっている。右手奥で師匠の清宝さんが図案をチェックし、二人の弟子が鑿を入れている(図版5)。通りから見た工房の側面には、巧みな彫りの技で仕上げられた何枚もの欄間が立てかけてある。まさに工房兼ショーウィンドウである。欄間からさらに眼を右に転じれば、獅子頭に木彫の置物や木彫衝立が並び、その奥に等身大の女性像2体が置かれている(図版6)。こちらの作品は、清宝さんご子息の野村光雄さんの、多分、日展に出品した作品だろう。もちろん光雄さんも井波の木彫の技を習得済みで、さまざまな彫り物をこなしつつ、一方では金沢美術工芸大学彫刻科を出た後、己の造形精神に基づく木彫人体作品を、日展を舞台に発表し続けている。これぞ工芸と彫刻とが一体となった井波の物作りの奥深さを物語る一葉だと思う。
杉野秀樹・砺波市)
図版6.JPG

図版1 瑞泉寺の立派な石垣

図版2 手書きのカワイイ観光イラストマップ
図版3 瑞泉寺前から見た八日町通りの眺め
図版4 野村清宝さんの工房内
図版5 野村清宝さんの工房内
図版6 野村清宝さんの工房内