「赤尾道宗心得21箇条」

  1. 後生の一大事、いのちのあらんかぎり、油断あるまじき事。
  2. 仏法よりほかに、心にふかく入る事そうろはば、あさましく存じそうろうて、すなわちひるがえす べき事。
  3. 引き立つるこころなく、おおようになりそうろはば、心中をひきやぶりまいるべき事。
  4. 仏法において、うしろぐらき料心あらば、あさましく存じそうろうて、手を引くおもいをなし、たちまちにひるがえすべきこと。
  5. 心にひいきをもちそうろうて、人のためにわるき事、つかまつるまじき事。
  6. 冥の照覧と存じそうろうて、人知りそうろはずとも、あしき事をば、ひるがえし候べき事。
  7. 仏法のかたをば、いかにも深く重く信仰申し、我が身をば、どこまでもへりくだり候て、たしなみもうすべき事。
  8. 仏法をもって、人々に用いられ候はんと思い候事は、かえすがえすあさましき事にて候、その心出来そうろはば、仏法信は、ただこのたび後生の一大事を、たすかるべきため計にてこそ候へと思候て、ひるがえし候べき事。
  9. 理非をたださず、あしき事の出来候はん座敷をば、のがれ候べき事。
  10. これほどの浅ましき心中を、持ちたるよと、おぼしめし候はん事こそ、かえすがえすも浅ましく、悲しく、つらく存じ候。今までのことをば、ひとすじに御免をあおぐといえども、斯様なる心中なる者よと、おぼしめし候はん事、かえすがえす身 のほどのつたなさ、悲しさ、あさましく存じ候。前生も、かかるつたなき心中にてこそ、いま、斯様に候はめと申かぎりなく、浅ましく存じ候。 もしもしついに御目にかかり候ても、ここを浅ましく存じ候。あらあら冥加なや、こんにちまで、うしろぐらきをば、ひたすら御免をあおぎ候。おおせ にまかせまいり候べし。
  11. もし、こん、みょうにちも、ながらえ候て、のち、法義無沙汰になり候はば、あさましやと、ひきやぶり、たしなみ候べき事。
  12. 心中に、驚き、しみじみとなく、候はば、ああ、あさましや、もったいなや、今生は、飢え死に、 凍え死ぬとも、このたび後生の一大事を、とげまいらせ候はん事こそ、無始広劫よりの望み、このたび満足なれと存じ候て、思いきり我が身を責めて、 たちまち驚き候べき也。それにも、驚き候はずば、これはさて、この身はさて、御罰をこうむりたるか、と存じ候て、心中をひきやぶり、御同 行にあいまいらせて、讃嘆申し候はば、せめておどろき申べき事。
  13. あやまっても、随意をはたらき、ねむりふせり候て、この一大事を思いまいらせず、いたずらに暮らし候まじき事。
  14. ひもがなきなどと、我が身に、理をつけ候こと、あるまじく候。うちの人々にあい候て、心に思 い候はずとも、涯分たしなみ候て、まずこの一大事は、いかが候はんと申しいだし候て、心中をおどろき、たしなみ候はん事。
  15. 御道場のこと、本と、心に、涯分入り候はん事。
  16. 我を憎み候はん人を、憎み倒し候はんように、心中をもち候まじき事。
  17. ただ、願わくは、この一大事に、心を深く入れ、油断なく候へがしと、存じ候。御同行の御なおしをば、やがてしたがいもうすべき事。
  18. 万事、心に執着せずして、ただ願わくは、わがこころ、この一大事ばかりに、ふかく心を入れ候へがしと存計候。
  19. かように申し候は、あまりわが心中、思い知れも無く、あさましく候ほどに、斯様にこころを語 らい、定め候ても、そのしるしも候へがしと思い候て、斯様にいま、申し候。幾重にも幾重にも人の御なおしには、したがいもうすべき事。
  20. 願わくは、御慈悲を別してかけられ、ひがめるかたへ、やらずして、おしなおしてたまはり候へがしと、おもいまいらせ候事、他のことなく候。
  21. あさましのわがこころや、後生の一大事をとげべき候ならば、一命をものの数とも思わず、おおせならば、いずくの果てなりとも、そむき申まじき心中なり、また、唐、天竺へなりとも、求めたずねまいらせ候はんと思うこころにてあるもの を、これほどは、思いきりたるわが心にてあるに、おおせにしたがい、うしろぐらくなく、法義をたしなみ候はん事は、さて、やすき事にてはなきかとよ、かえすがえすわがこころ、今生は一たんなり、いまひさしくもあるべからず、かつえても死に、凍えも死ね、かえりみず、後生の一大事、 油断してくれ候な、わがこころへ、かえすがえす、いま申ところ、違わず、身を責めて、たしなみきり候べし、かえすがえす御おきて、法度 を、そむかず候て、しかも内心には、一念のたのもしさ、ありがたさを、たもち候て、外相にふかくつつしめ申して、くれ候へ、わが心へ。
道宗(蓮如上人の入滅後3年、道宗40歳ごろ)