となみ野をもっと知る!(論考・資料集)

となみ野に関係する研究論文や資料を気軽にご覧いただけます。

 

石仏とふれあう里 となみ野(尾田武雄さん)
 砺波市教委が昭和50—60年代に行った悉皆調査では、旧砺波市内に約1,080体、36種の石仏 が祀られていたと報告されていますこの資料は、平成16年に行われたインターネット市民塾「石仏とふれあう里 となみ野」のために作られたもので、旧砺波市内の主な石仏をほぼ網羅し解説しています。

 

カイニョイズム研究会(金岡菜穂子さん)
 散居村に住む若者たちが、カイニョに囲まれた伝統家屋に都会の人を招くツアーを企画するなど、新しい取り組みを始めました。その詳細な記録です。
  2002年 活動報告書1(10ページごとに分割しました)
  2003年 観光研究論文
  2004年 活動報告書(概要版)
  2004年 活動報告書1
  ※2004年活動報告書も10ページごとに分割していますが、「2」が5.8MB、「3」が 4.7MB
   など、かなり大きなファイルになっています。ご了承ください。

 

中越鉄道の成立と展開(草卓人さん)
 新橋—横浜間に日本初の“岡蒸気”が走ってからわずか25年。明治30年(1897年)、となみ野に鉄道が開通しました。
 中越鉄道(現JR城端線)の創業に奔走した砺波人の足跡をたどります。

 

私たちの庄川(山本良一さんほか)
 庄川を多面的に研究した、小中学生によるマルチメディア教材。知ってるようで知らない庄川を再発見できます。

 

庄川水力電気専用鉄道の成立と変遷(草卓人さん)
 大正から昭和初めにかけて、旧庄川町(現砺波市)を舞台に、近代産業と伝統産業の抗争ともい われた庄川流木争議の陰で、生まれ消えた小さな鉄道の物語。

 

史料紹介「砺波鉄道監査復命書」(草卓人さん
 昭和47年に廃線となった加越線(庄川町青島—井波—福野—津沢—石動)は国鉄城端線(現在のJR城端線)と福野で交差しながら、砺波平野を東西に貫き、国鉄北陸線(現・JR北陸線)と接続。地域の近代化に大きな役割を果たしたが、その 歴史はあまり詳しく紹介されていない。本稿は鉄道院・五島慶太参事(後の東急電鉄の創業者)の報告書を基に、混迷の創業時の様子を明らか にしている。

 

芹谷山千光寺の石塔(尾田武雄さん)
 砺波市芹谷にある真言密教の古刹、千光寺は、大宝三年(七〇三年)、天竺(インド)より渡来した法道上人によって開かれたとされ、以後中世にかけて皇室の祈願所として栄えました。江戸時代加賀藩下には、二代藩主前田利長より寺領を受け藩 の祈願所として手厚い保護を受けてきました。この旧参道にあった石塔が、平成18年の観世音菩薩開帳にあわせ、地元住民によって再建され ました。その経緯を千光寺古文書調査団長の尾田武雄さんが記しています。

 

増山城最後の城主中川宗半(光重)と蕭(老松邦雄さん)
 各種古文書のほか、加賀藩に関する資料なども詳しく調べ、越中三大山城のひとつとされる増山城最後の城主、中山宗半とその妻、蕭の生涯を明らかにしました。

 

富山廃線紀行「加越線」(草卓人さん)
 砺波平野を南北に貫いた中越鉄道(現・JR城端線、明治30年開通)に続き、大正年間には福野(南砺市)で交差しながら東西に走る砺波鉄道(後の加越線、庄川—石動)が建設され、豊かな農村地帯は一気に近代交通の時代を迎えた。平野のど こへでも物資輸送や通勤通学の便が確保されたことが、地域発展に大きく役立ったことは想像に難くない。自動車社会の進展で昭和47年に廃 線となった加越線の線路跡は現在、サイクリングロードとして整備されている。鉄道史研究家の草卓人さんが、たどった。


金子宗右衛門の桜献上 庄川流域エドヒガン自生にみる一考察(間馬秀夫さん)
 砺波市庄川町に自生するエドヒガン桜。この桜が高岡城築城のころ、太田村(砺波市太田)の十村、金子宗右衛門によって加賀藩に献上され、桜馬場に植えられた。なぜ献上された桜は、エドヒガン桜だったのか。高岡の桜の名所にまつわる秘話を 探る。

(土蔵の会会報14号収蔵)

 

一国一城令と高岡城廃城の思い(間馬秀夫さん)
 金子宗 右衛門の桜献上の背景に、加賀藩と江戸幕府との厳しいつばぜり合いがあった。歴史ロマンをかきたて る推論を展開。

 

散居村ミュージアム展示パネル
 平成18年、砺波市太郎丸に砺波散居村を全国に発信する「散居村ミュージアム」がオープンしました。そのパネル展示資料をJPG形式でアップしてあります。ダウンロードのうえ、プリントするなどしてご利用ください。