散居村ミュージアム展示パネル(新着「砺波地方の真宗風土と妙好人」

 平成18年、砺波市太郎丸に砺波散居村を全国に発信する「散居村ミュージアム」がオープンしました。その パネル展示資料をJPG形式(一部PDF)でアップしてあります。プリントしてご利用ください。
ブラウザから「ファイル→印刷」をクリックするか、パネル画像を右クリックし、保存の上、印刷ください。


 散居村の成立、屋敷林と独特の住宅建築様式(アズマダチ、ワクノウチ)、加賀藩による庄川の 水防工事(松川除け)と昭和初期の用水開発(合口ダム・堰堤建設)、大正から昭和にかけ海外にも輸出された河川水利用の小型動力水車(螺旋水車) の発明、立山カルデラ砂防事業、石川県からの分県に活躍した米澤紋三郎…など全11項目です。

 となみ散居村の成立
 屋敷林アズマダチワクノウチ
 護天崖
 砺波平野の水
 庄川合口ダム庄川合口堰堤庄川の松川除け
 螺旋水車の元井豊蔵分県の祖・米澤紋三郎

 

 1873年(明治6年)に「杉木小学校」として開校以来、130余年にわたり砺波地方の拠点校として、 多くの人材を世に送ってきた砺波市立出町小学校の歴史を紹介する特別展「出町小学校の歴史展」が2009年8月31日まで開かれています。その展 示パネルです。

 出町小学校の歴史展

 

 散居村ミュージアムでは2009年4〜6月、明治30年に開通した中越鉄道(現・城端線)に生涯を懸け、砺波地方の発展に尽くした初代社長、大矢四郎兵衛を紹介するパネル展示を行いました。このパネルをアップしてあります。

 大矢四郎兵衛物語

 

 砺波地方を開拓した奈良時代の豪族、利波臣志留志(となみのおみしるし)を紹介したパネルで す。東大寺建立の際、米3000石を贈ったほどの財力を持ち、朝廷から貴族と変わらぬ外従五位下という高い位を得ていました。

 利波臣志留志

 

 大正4年(1915年)に福野-青島間で開通した加越線は大正11年(1922年)、砺波平野の東西を結ぶ青島ー石動間が全線開通。以後、南北に走る城端線とともに、住民の足として親しまれました。このパネルは、昭和 47年(1972年)に廃線となるまでの歩みや利用者の思い、地域社会に果たした役割などをまとめてあります。

  加越線物語4-14-24-34-4

 

 「妙好人」とは、念仏者の称号で、主に浄土真宗の篤信者のことを指します。古くから浄土真宗の教えに篤かった砺波地方では、数々の妙好人が人々に正しい信心のあり方を身をもって伝えました。このパネルでは、赤尾(南砺市上平村赤尾)に道場(後の行徳寺)を開いた赤尾の道宗、本願寺再建の奉仕に訪れた砺波地方の信徒らの宿泊所・砺波詰所の初代主人・北村長助、明治の両堂再建に尽くした砺波庄太郎らを詳しく紹介しています。

 砺波地方の真宗風土と妙好人

 

となみ散居村ミュージアム 
TEL(0763)34-7180
FAX(0763)34-7182
〒939-1363 富山県砺波市太郎丸80番地