プロローグ「豊穣の里 砺波野を眼下に見て」

 

 夢の平スキー場を左手に見ながらもう少し車を走らせると、散居村展望台がある。眼下には、庄川がはぐくんだ豊かで広大な砺波平野と、空からまかれたかのように散在する家々が遙か高岡あたりまで見わたせる。季節の移ろいとともに表情を変える光景を楽しむのもいい。

DSCN0145.JPGそういえば、今から15年も前のことになるのだろうか、とある高名な美術史家を井波や城端に案内した折りに、砺波平野をゆっくりとドライブした。散居の景観を楽しみながらいわれた言葉が心に残っている。「豊かな土地柄ですね。こういう場にこそ、文化が芽生え花開き、脈々と受け継がれるのですよ。」
この土地に生まれ育った筆者には意外な感じの響きがした。生まれ育った土地というものは、心の内に取り込みながら自身が成長する。それは同化作用であり、その反発が故郷離れともいえるのだろう。そこには故郷を客観的に見るという精神はない。故郷を客観視するなどといった冷徹な眼差しをもつことは難しいし、また一般的にはその必要はないのかもしれない。「そうか、砺波平野は豊なんだ。」と漠然と感じたのである。
比肩しうる対象とはいえないが、諸芸術が栄えた古代ギリシア・ローマ、あるいはルネサンス文化を醸成したイタリア半島、レンブラントやフェルメールを生んだ17世紀オランダ、華麗なロココ文化を開花させた18世紀のフランス等々、「うむ、確かに富の集積地であったな。」と。
筆者は砺波野の文化や美術家たちの営為を、歴史的にも、同時代的にも客観的に把握してきた、あるいはしているとはとてもいい難い。できることといえば、体系の中に美術家の業績を位置づけるなどといった大それた目論みはまずもって放棄して、特定のテーマを設定することなく、いうなれば散居村の光景の中を、ゴールを定めずにあてなく自由に散策するがごとく、時代や分野を縦横無尽に行き交いながら、砺波野の美術家を紹介しようと思う。さあ、最初は誰にしようか。
杉野秀樹・砺波市)