砺波野の美術と疎開作家たち

 
戦争が美術地図を塗りかえる
フランス国王フランソワⅠ世(1494-1547)が1515年にミラノを占領し、ローマ教皇とフランスとの和平交渉締結役にレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)が選ばれた。多分、これがレオナルドとフランス国王との最初の接点と考えられるが、その後、フランソワⅠ世の招きを受け入れ、レオナルドは最晩年をフランスで過ごし、同国が終焉の地となった。生涯、手放すことなく手元に置き、手を加え続けたという名画《モナ・リザ》は母国イタリアではなく、フランスの宝となったわけである。その後、強力な絶対王政を確立したフランスは、富の集中化と王侯貴族の典雅を好む嗜好とが相まって、芸術文化の中心となった。以来、フランスの首都パリは芸術の都として君臨し続けることになる。
盤石と思われた芸術の都パリは、第2次世界大戦の勃発によってあっ気なく陥落してしまう。芸術の都を支えてきた経済基盤と美術マーケットが崩壊しただけではない。制作や活動の拠点を失い、命さえもが危険にさらされた多くの優れた芸術家が平和の地を求めて大西洋を渡ったのである。
 
亡命作家がもたらしたもの
パリを主要舞台にして、まさに第一線で活躍していたシャガールやミロ、ダリ、エルンストらが新天地で旺盛な創作活動を繰り広げ、アメリカのヤング・ジェネレーションを刺激した。まばゆいばかりの光を放つスーパースターが間近で制作している。それを目の当たりにして、興奮を覚えないはずがない。戦前ならば、パリから見れば「田舎の美術」に等しいアメリカ美術を、数年の後に世界のひのき舞台に押し上げることになるヴィレム・デ・クーニングやジャクソン・ポロック、マーク・ロスコらは、この時期に刺激に満ちた空気を十二分に吸い込んだのである。戦後は、美術の実験と創作の場として、あるいは美術マーケットでも、世界の中心としてニューヨークは君臨し続けることになる。
 
 疎開作家の来砺
戦争は、人々に否応なしに変化を強いる。その多くが、いやほぼすべてが悲劇を伴っている。日々の生活が脅かされ、人々は戦禍から逃れるための変化、移動を切に願う。太平洋戦争も後半にさしかかると、日本は守勢に回らざるを得なくなり、劣勢の状況は如何ともしがたくなる。昭和19年には日本のほぼ全域がアメリカ空軍の空爆可能圏内に入り、多くの芸術家の創作拠点であった東京や関西が空襲の猛威にさらされる。日々の食事にもことかく食糧難も相まって、地方へ疎開する者が激増する。難を逃れて富山に住まいを求めた芸術家も多い。
砺波野に話を限り、美術家の疎開例をいくつか挙げてみよう。城端に日本画の小坂勝人(1901-1953)と彫刻の村井辰夫(1904-1998)が疎開する。洋画の伊藤四郎(1897-1976)がその村井を頼って来県する。石版画の第一人者、織田一磨(1882-1956)は福野に、院展の彫刻の小柳津三郎(1907-2000)は井波に、後に日展を舞台に彫刻を発表する永原廣(1905-1993)は出町に、前衛書という未知の表現世界へと歩を向ける大澤雅休(1890-1953)は太田村に、棟方志功(1903-1975)は福光に移り住む。
故郷ゆえに疎開先を富山に選んだ者もいれば、縁者のつてを頼ってこの地にたどり着いた者もいる。大望を抱き、意を決して地方から中央へ出た者が、志し半ばで中央から去らなければいけない事態となった。推し量り得ないほどの虚無感に包まれての疎開であったに違いない。
 
疎開作家の意義と彼らの苦悩
とはいえ現役バリバリの作家が住みかを地方に求め、そこで生活したのである。彼らの存在が地方の精神活動に波紋を投げかけ、芸術に関心を持つ人々に影響を与えたのは当然である。創作に対する姿勢、その厳しさに直に触れ、芸術家として生きるとはどういうことかを肌で感じ取ったことだろう。多くの疎開作家を受け入れた砺波野はその典型例である。終戦の翌年にいち早く富山県美術展(県展)が開催されるが、不幸な戦時中でも美術を志す者たちの創作意欲を刺激し続け、また県展開催に向けた準備に積極的に動いた疎開作家の存在を抜きにしては語ることのできない展覧会であった。
戦後、富山の美術のスタートを後押しした彼らにも苦悩はあった。疎開によって本格的な創作活動は中断し、どうにか継続できたにしても決して満足のゆくものではなかったろう。しかし、それ以上に終戦後の身の振り方こそが、美術家としての人生を大きく左右する分岐点となったように思える。もう一度、中央に打って出るか、それともこのまま富山に住み着き創作に励むか――どちらかを選ばなければならない、まさに二者択一を強いられたのだ。ことに生まれ故郷を疎開先に選んだ美術家にとっては過酷な選択であったと思うが、疎開作家の避けがたい試練であり、運命であった。
 
次回は、先に触れた、福野を疎開先に選んだ当代きっての石版画家、織田一磨を取り上げる。
杉野秀樹・砺波市)