出町子供歌舞伎

tanoshimu058.jpg

 県指定文化財の出町子供歌舞伎は、毎年、砺波市の出町神明宮の春季祭礼に合わせて行われています。市街地 の西町、東、中町が毎年持ち回りで曳山を出し、曳山にしつらえられた舞台で子供たちが演じます。
 出町神明宮は、慶安3年(1650年)に杉木新町の総氏神として勧請され、天明9年(1789年) に西町の曳山が造られました。この年、町蔵宿を務めた西町の鷹栖屋甚兵衛の文書に、「西町引山ノ台新出来」などとして、翌年三月にかけ計十二貫六 百文を支払ったことなどが記されています。後に、中町、東の曳山が作られました。
 東の曳山は明治33年(1900年)の大火で焼失しましたが、大正8年(1919年)に曳山台、大正11 年(1922年)に上部を完成しました。
 戦前の役者は男児だけでしたが、戦後は女児も演じるようになりました。3町内そろって上演されていた子供歌舞伎は、昭和44年から1町内ずつの回り持ちとなりました。
 昭和42年に「出町子ども歌舞伎曳山行事」の名称で砺波市指定文化財となり、平成6年には富山県指定無形民俗文化財となりました。


■最近の話題

出町子供歌舞伎曳山会館オープン

tanoshimu001.jpg

 県指定民俗文化財「出 町子供歌舞伎曳山」の保存と振興を図るため2009年10月10日、砺波市中央町に総事業費8億 円をかけて砺波市出町子供歌舞伎曳山会館がオープン。これまで別々に保管されてきた3町内の曳山を 収容・展示するほか、子供歌舞伎の資料、写真などを展示しています。
 このサイトでは展示資料を掲載しています。

(出町子供歌舞伎曳山会館ページはこちら)

開催日の変更
 平成21年から開催日が4月の連休に変更になりました。大人も子供も休みが取りにくい上、大勢のお客さんに見てもらうため、同年は29、30日としました。当番は「東」でしたが、曳山は3町内の3台が砺波市中心市街地に並べられ、豪華絢 爛な姿が訪れた観客を喜ばせました。

 

焼失した東曳山の欄間発見
 明治33年の出町大火で焼失した東の曳山について、これまで史料などが残っておらず、外観や製作時期も不明でしたが、東曳山会が保管していた欄間が曳山の一部であることが、このほど明らかになりました。
 この欄間は縦18センチ、横134センチの2枚で、牡丹や水仙が描かれていました。平成20年3月、 南砺市本町(井波)の木彫刻師、番匠屋十六代の田村与八郎さんが所有している下絵と図柄が同じであることが分かりました。この下絵には「杉木新町 東町曳山欄間図」と記されていました。「嘉永二年」(1849年)の文字もあり、このころ、製作が進められていたか、既に完成してとみら れます。

(番匠屋さんに保管されていた下絵と欄間)

tanoshimu026.jpgtanoshimu027.jpgtanoshimu028.jpg

 東曳山会では残っている資料から、曳山の歴史や外題(演目)、出演者などを一覧にまとめています。このた びの調査で、敗戦直後の昭和21年にも子供歌舞伎が演じられていたことが明らかになりました。
 当時、GHQの指示で軍国主義的な武道や剣劇などは禁止されていたことから、子供歌舞伎も中断していたと思われていました。

(「東曳山外題年表」はこちらへ)