6)コレラの石仏
砺波地方は、江戸時代末から明治期にかけて数回の
コレラの大流行がありました。これにまつわる石仏です。
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出町の三島町瑞祥寺には、「コロリ不動さま」
(14)
があります。安政6年初秋にコロリ(コレラ)が流行し、
各地に多数の死者が出ました。この年の8月中旬に、石黒村字相木村三十郎(村の肝煎役)に、
大岩谷と称する谷中に多年埋もれている不動尊を掘り出せば、コロリにかからないと夢の中で
おつげがあったそうです。
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(14)コロリ不動さま(出町・瑞祥寺)
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人足たくさんで大岩谷を掘り探ると、おつげのとおり
不動尊が見つかりました。この事を聞いた近郷近在の人々の参詣の数は
老若男女が、日に数百人におよんだといいます。
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しかし杉木新町の奉行所の耳に入ると「人民を惑わす
ことはけしからん」と不動尊を取り上げてしまいました。コロリの病を恐れた人々は、困り果て
得能覚兵衛等が時の奉行金子篤太郎に願い出て、奉行所の守り不動尊としたのでした。
林の杉木日吉神社南の六体地蔵
(15)
も文久の頃コレラが大流行してそのために造立され
ました。
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(15)コレラの六地蔵(杉木)
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(16)コレラの六地蔵(太田)
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明治に入ってから、コレラは猛威を振るいました。コレラの犠牲者を火葬した地に石
仏を造立されました。太田般若庵の六体地蔵
(16)
、太田田島一雄宅東の阿弥陀如来
(17)
、中野新明の清原宇一宅前の地蔵
(18)
がそれです。
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(17)阿弥陀さま(太田)
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(17)阿弥陀さまのお堂(太田)
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(18)地蔵(新明)
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