出町の歴史

「杉木新町(すぎのきしんまち)の町立」

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 出町には「出町の大ケヤキ」と呼ばれ人々に親しまれている大木があります。かつてこの木の西側には庄川の支流である中村川が流れ、度々氾濫しては住民を苦しめていました。しかし、庄川の流れがしだいに東へ移ると、その地に市場町を作ろう とする者たちがあらわれます。

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 慶安二年(一六四九)の正月、杉木村(林地区)の二郎兵衛は近村の有志とともに、市場町の町立を藩に願い出ました。この時書かれた「杉木新町町立願書」には、町立までのいきさつが詳しく示されています。二郎兵衛ら十六名が連署した願書は、郡奉行(こおりぶぎょう)の国府新助(こくふしんのすけ)を通じて藩に出されこれを許されました。
 新しい町は町立ての中心人物である二郎兵衛の出身地に由来して「杉木新町」と名付けられましたが、町民たちが周辺の村から「出て」この 地に移り住んだ者が多かったことから、俗に「出町」とも呼ばれるようになりました。なお、「出町」の文書での初見は享保十年(一七二五) です。

(町立願書の詳細はこちら)

 

出町の発展

御旅屋の建設

 加賀藩五代藩主前田綱紀が鷹狩りを行う際の休憩所として、寛文四年(一六六四)に御旅屋が設 けられました。出町に今も残る「御旅屋の井戸」はその際に掘られた井戸で、幕末近くまで出町で唯一の井戸として町民の生活に欠かせませんでした。

十村相談所の設置

 寛文六年(一六六六)、出町に十村寄合所(寛文八年から十村相談所)が置かれました。(越中では杉木新町・小杉新町・東岩瀬町)砺波郡の十村が一月を除く毎月一日に寄合を行い砺波郡の自治的な機能も果たしました。また、文政四(一八二 一)年から砺波射水御郡所(となみいみずおこおりしょ)の御出役所、天保八年(一八三七)から砺波御郡所が置かれ、後に砺波郡の政治的な 中心として出町が発展する重要な布石となりました。

蔵宿(くらやど)の誕生

 元禄十一年(一六九八)、武士の知行米(ちぎょうまい)を預かる蔵宿に、出町の豪商・不動島屋源助が初めて任命されました。これは、この頃はじめて蔵宿を営むことができるような豪商が出町に生まれたということを意味しています。曳山の建造 は豪商が中心となって進められていました。出町の場合もそのような豪商が多く住んでいた西町から曳山が建造されました。

中越銀行の設立

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 明治二十七年(一八九四)、出町を中心とした砺波地方の富商地主層を中心にして設立されました。 明治から昭和十年代を通じて、富山県内の有力銀行として発展し、昭和一八年(一九三六)に他の三行と合併して現在の北陸銀行となりました。現在この建物はチューリップ公園内に移築され、砺波郷土資料館として親しまれています。

中越鉄道の開通

 明治三十年(一八九七)に開通した中越鉄道(現在のJR城端線)は、富山県で最初の鉄道事業でした。中越鉄道は、砺波・射水・高岡の有志によって設立された私設鉄道で地方開発のために敷設されました。これにより物資の運搬が容易になり砺 波地方の地域開発に大きく貢献しました。

 

出町を襲った大火

(昭和19年の大火直後の出町)

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 砺波平野一帯の町では、フェーン現象の影響を受けて度々火災に見舞われてきました。出町でも開町以来、六回にわたって町が焼 け、その度に町の人たちの努力によって復興がなされてきました。その中でも特に被害が大きかったのが、明治三十三年(一九〇〇) と昭和十九年(一九四四)の火災です。明治三十三年には家屋二百五十四戸とともに、東曳山や出町神明宮、役場、小学校、病院、警 察署などの施設を焼失し、最大の被害を出しました。また、昭和十九年の火災では家屋二百九戸に加えて、再び
 出町神明宮が焼失しま したが、氏子の不屈の熱意によって再建されました。

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(昭和19年の大火直後の出町神明宮付近)

 

出町から砺波へ(砺波地方の中心都市へ)

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 昭和二十七年(一九五二)四月一日、出町を中心として、中野村・庄下(しょうげ)村・五鹿屋(ごかや)村・油田(あぶらでん)村・林村の一町五カ村が、戦後富山県内の町村合併のトップを切って砺波町として新しく生まれ変わりました。

(砺波町誕生を祝う人たち)

 昭和二十九年(一九五四)一月十五日には、南般若(みなみはんにゃ)村・柳瀬(やなぜ)村・太田 村・東野尻(ひがしのじり)村・高波村の五カ村が新たに加わり、この時点で人口は二五、六〇七人となります。当時、市制施行には人口、三万人以上 が必要条件となっており、当時の砺波町は条件を満たしていませんでした。そこで、庄川を越えた東般若村・般若村・栴檀野(せんだんの) 村・栴檀山(せんだんやま)村の四カ村との合併による市制施行を目指します。昭和二十九年三月一日、この合併が実現すると、散村という特殊な集落 形態の地域であることから、「新生田園都市」として砺波市が発足しました。その後、鷹栖(たかのす)村、若林村の一部、また、平成十六年 (二〇〇四)には、庄川町との合併を経て、現在の砺波市となっています。

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(砺波市役所前に勢ぞろいした女性たち)

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