杉木新町町立願書(すぎのきしんまちまちだてねがいしょ)

縦250㎝ 横1050㎝
砺波郷土資料館蔵

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 慶安2年(1649)の正月、砺波郡杉木(すぎき)村の二郎兵衛(じろべえ)を筆頭に、太郎丸 村、十年明(じゅうねんみょう)村、深江村、中神村、北高木村など、周辺の村々の16名の連署による町立願書が、当時砺波地方の 民政を支配していた奉行の国府新助を通じて藩に提出されました。
 願書には、長さ300間(570m)、横80間(152m)の 土地に家100軒を建てることや、3と9のつく日に六斉市(ろくさいいち)を開くことなどが記されています。平野部に町を建てたいという藩の意向にも合致したことから町立ては認められ、藩からは長九郎左衛門ら家老6人が許可の裏書をした願書が返送されました。こ の文書は出町(杉木新町)の起源をきわめて端的に示す重要な文書として代々厳重に保管されてきました。
 砺波郡では、寛永17年(1640)の戸出(といで)、慶安2年の杉木新町、翌慶安3年の福野、同4年の福光新町、万治3年(1660)の津沢など、このころ相次いで町立てされています。

(全文と現代訳)

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