5.砺波地方の石仏   つづき


 この石仏調査によって、砺波地方の石仏の特徴が若 干分かってきました。

(1)地蔵(ゾーサマ)が非常に多い。
 この地蔵は、丸彫りより浮彫りの方が多く見うけら れ、造立もやや古い。造立者も真宗門徒がほとんどで あり、死者供養、道しるべの目的で造立されています。 「地蔵と弥陀は同体なり」(存覚著『諸神本懐集』) の教えもたぶんにあろうと思われます。また民間信仰 の道祖神とも習合しているのでしょう。

(2)幕末・明治期に爆発的に造立されました。
 江戸時代初期から中頃にかけて、庄川扇状地の開拓が 進み、幕末にかけて生活が安定し、民俗芸能等々も盛んに なり、いよいよ庶民の時代に入り、石仏や名号塔が爆発的 に造立されました。

(3)石材は、主に地元庄川町金屋から採掘される、緑色凝灰岩の金 屋石を使用しています。
 幕末から昭和30年代にかけて、庄川右岸の合口ダム付近より採掘 され、多くの石工も輩出した。特に明治前期に活躍した石工森川栄次 郎は、その墓碑によると一生涯の間、石仏を1000体あまり彫ったとあ ります。この地方に、幕末から明治期に爆発的に造立されたというこ とは、それなりに需要と供給のバランスがとれていたといえます。

(4)路傍の石仏ながら、ほとんど堂に入り管理者が周知されていま す。
 この地方は、有数の豪雪地帯であり、石仏が露座の場合雪により 破損するので、必然的に堂に入れられるのでしょうが、その堂は、鬼 瓦が上り、懸魚、木鼻、欄間がある豪華なものです。また管理者は周 知されており、無縁仏の場合、その集落がいろいろの管理をしている のです。

(5)井波町瑞泉寺太子堂に安置してある「聖徳太子南無二歳仏」の模 刻石仏が多く展開しています。
 真宗の盛んな地であって、真宗大谷派の別院であった瑞泉寺の影 響によるものです。明治後期から大正期にかけての造立が多いよう です。

(6)石仏の種類がバラエティーに富んでいます。
 地蔵の造立が圧倒的に多いが、次いで聖徳太子、不動明王、観 音、如来、神像の弁才天、恵比寿、天神、稲荷等々、真宗の盛んな 地であってそれなりに石仏の種類が多い。しかし民間信仰に根ざした 道祖神等はありません。

(7)石仏まつりが継承されています。


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