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1.散居村と石仏


 砺波平野は、庄川と小矢部川の二つの川が形成した 複合扇状地で面積は約300平方キロメートルを占 め、用水の大部分は小矢部川に流入しています。庄川 町青島から庄川は平野に流れ、洪水を繰り返して現在 の庄川扇状地が形成されました。

 庄川の本流は昔、福野から津沢や川崎に流れ込んで いましたが、次第に西から東に移動したのです。移動 後の旧河川は、近世に入って松川除を築堤し、河川敷 を開いて、高岡の安全と農作物の増収を計ることがで きました。平野のところどころに微高地があり、それ を拠点に中世すでに農村集落ができあがり、近世に 入って低地や畔を対象に開発し、いよいよ砺波に散居 村が展開します。

 砺波平野には、点々と100メートル内外の間隔に おいて農家が点在しています。その面積220平方キ ロメートル、農家約7,000戸を数え、日本でも最 も典型的な散居村地帯として知られています。散村の 起源は、奈良時代の条里制とか、加賀藩の政策とか、 扇状地の開発は近世であるなどと、学者により異説が ありましたが、砺波平野の自然と開拓方法から判断し て中世の後半に成立したとされています。

 砺波地方は、真宗王国といわれるくらいに真宗の盛 んなところで、この教えの中に「造像起塔等ハ弥陀ノ 本願ニアラズ」とありますが、石仏全体をひっくるめ て「ゾーサマ(地蔵様)」というくらいに、地蔵の造 像が多く散村に普遍化しています。これは「阿弥陀と 地蔵は同体である」という真宗的な造立も多分にある とおもわれますが、むしろ民間信仰に根ざしたものと 思われます。

 散居村の展開する砺波平野に、他地方の人が入って しまうと、同じような造りの家、同じように屋敷林、 同じような田、同じような川等で方向音痴になってし まいます。緑の砂漠に入ったようなもので道に迷って しまいます。そんな中にあって道しるべの石仏は、重 要な存在になってきます。散居村の緑の中にある田ん ぼ道にあるたんぼ道にある石仏やその台座に、道しる べとなる地名と方向が刻まれています。また銘文が無 いとしても、道しるべの石仏としてあるべきところに ある石仏なのです。散村に住む人々や旅する人々に とっては、これらの石仏は重要なマップポイント的な 存在なのです。

 そしてまた、境を守る道祖神的な信仰と結びつき、 道を行く人々の安全を願い造立されたものと思いま す。

 ところで、散居村の道端にぽつりとある石仏のお堂 の造りは、実に重厚で立派です。これは、これを支え た地区民の厚い信仰心のあらわれですが、この堂に関 わった大工、左官、瓦職人等の腕のみせどころでもあ りました。

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