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古くから神奈備山とあがめられ、今も森閑とした山 頂の森の中は、伊須流岐比古神社が建っています。い まは「せきどうざん」と呼ばれていますが、古くは 「しするぎのやま」または「ゆするぎのやま」と呼ば れ、延喜式内社で能登二宮です。 中古、この伊須流岐比古神社を中心として、仏教徒 や修験者道場を開き多数の堂塔伽藍と院防を立て、北 国では白山に次ぐ仏教界の大勢力となりました。その 盛時には伊須流岐比古神社以下の末社摂社すべて80 社、社地50町四方、院防が360余あり、加賀、能 登、越中、越後、佐渡、信濃、飛騨の7か国を知行国 として4万3千石余、衆徒の数3千人を擁したといわ れます。 いまも北は青森から南は大阪にかけて、分霊社が分 布しており石動山信仰の広がりを示しています。とこ ろが建武2年(1335)と天正10年(1582)と、二 度の合戦により、二度とも大敗し一山の衆徒たちは社 殿や堂塔を売却し、仏像や寺宝などを所持してことど こく退転してしまったのです。 |
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