となみ野の心

 真宗王国として知られる砺波地方は、古くから念仏が生活に根付いてきました。かつて、アズマダチの農家の中心には、立派な仏間がしつらえられ、朝食前には必ず仏壇に仏飯を 供え、念仏を唱える姿が見られました。
そんな中で育った子供たちも、ごく当たり前のように仏様に手を合わせ、何事にも無心に念仏を 唱える心が育まれたのです。報恩講や地蔵盆など、宗教にまつわる行事が年間を通していくつもあります。
信心の心が培う無私の心と勤勉さに、肥沃な土地があいまって、地域の豊かさと学術、文化芸術を愛する住民性が生まれたのです。
このコーナーでは、そんな砺波野の宗教・心について紹介します。

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 旧井波町(現・南砺市)は、明徳元年(1390)、本願寺第5代綽如(しゃくにょ)上人によって 開かれた瑞泉寺の門前町として栄えました。第8代蓮如(れんにょ)上人も度々瑞泉寺を訪れ、北陸における布教の拠点とし ていました。
この寺の建設・増改築を通して宮大工たちが腕を磨き、井波は欄間など木彫の町としても知られ るようになりました。現在では、日展など美術界で活躍する彫刻家、工芸家を多数輩出しています。

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 浄土真宗には、「妙好人」(みょうこうにん)と呼ばれる人達がいます。「妙好」とは、もともと蓮華の美しさを称する言葉です。
浄土真宗が説く他力の教えでは、知恵や才覚などは信仰を深める妨げになることもあると説いており、地位も名誉もない、ごく普通の市井人の中にあって、信心と感謝に生きた人たちを「妙好人」として、その心の美しさを称えてきました。
真宗王国である砺波では、赤尾の道宗と砺波庄太郎という2人の「妙好人」が知られています。
 

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      (砺波庄太郎)