夜高祭

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 「ヨタカ」「ヨウタカ」と読みます。砺波地方の初夏を彩る勇壮な祭りです。
 江戸初期の慶安年間(1648〜52年ごろ)、加賀藩から砺波地方の出町(砺波市出町)、福野(南砺市福野)、津沢(小矢部市津沢)などに町立てが許され、市が開かれるようになりました。夜高祭りは、慶安5年(1652年)、福野町の福野神明 宮に伊勢神宮のご分霊を迎えた際、人々が加賀越中境の倶利伽羅峠まで行灯を持って出迎えたのが始まり、と伝えられています。
  砺波地方の6月は、田植えが終わり、農家の人たちもほっと一息つく時期。夜高祭りは「豊年満作」「五穀豊穣」を祈る祭りとして行われてきました。「田祭り」「ヤスゴト」などと呼ばれます。村部ではかつて、集落ごとに子供たちが縦60センチほどの田楽行灯を持って、夜高祭の歌を歌い ながら家々を回りました。歌詞は、豊作を祈り信仰と勤労の大切さを教える内容で、集落ごとに少しずつ異なっていました。砺波市内では昭和40年代 まで、児童クラブの主要な行事として行われ、集められた御祝儀は子供たちの貴重な小遣いでした。
 これに対し町部では、高さ3−4メートルもある大行灯を作って、勇壮に練り回し、最後は引き合い(けんか=ぶつけ合い)を行いました。村部でも昭和50年代ごろから、子供たちの田楽行灯が青年たちの大行灯となって復活。町部に負けないよう な立派な祭りとなっています。
 現在は、福野町で5月1、2日、出町で6月第二金土曜、津沢で6月第一金土曜、庄川町(砺波市庄川)は6月8、9日(庄川観光祭に併せ)に開催されています。