昭和18,19年頃の新町あたり

 demati.jpg 先日、昭和18年か19年頃の、新町あたりの家の並びを思い出して地図を書いた方が、その地図を持ってきてくれました。

 その当時の地図と比較しようと思って、郷土資料館へ「終戦前後の住宅地図ありませんか?」と問い合わせたところ、「住宅地図が出来たのは昭和30年代なのでそれ以前のものはありません」との事。

 そこで、「これこれこういうことで新町あたりの地図なんですけど」とおはなししたところ、資料館の方が「ぜひ見せてほしい」との事でした。そのころの地図って貴重なのかも。資料館の方からは「曳山会館はこういった資料収集の施設として、郷土資料館を補完する機能を持ってほしいですね」といわれました、ガンバルぞ!。今も時々古い資料を持ってきて下さる方がいてありがたいのですが、わたくしその価値がよくわかりません。結局、資料館へ持ち込むことになると思いますので、資料館の方宜しくお願いします。

 地図を見ると、検番といって芸者さんの稽古場があったり、人力車屋さんがあったりと、けっこうおもしろいのです。料をまるで囲ってあるのは料亭だそうです。(tonarino-oyaji)

コメント(1)

ししまる | 2010年5月19日 10:42

「倹番」覚えてます。
現在新町公民館がある所は消防ポンプ小屋。
現在の78ビルは「草津湯」という銭湯跡。
山王川沿いに「比翼園」という大きな料理屋さん。
(比翼園の名前は東曳山の鬘箱などに残っています)
新町の街並みで思い出すのは、ところどころに花壇があって桜と柳が交互に植えてあったこと。
出町大火のあと、「道幅は広くなければいけない」とそれまでの狭い道幅から現在の道幅になったと親世代から聞きました。そのころの町のまとめ役の先見性と実力を感じさせる話だと思います。



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