かしも明治座へ行ってきました。

DSC_0186doc.JPG 95()、岐阜県中津川市加子母村の『明治座』という芝居小屋で、1年に1回で1日だけ行われる『加子母歌舞伎』を見てきました。

 建物は、その名の通り明治27年に村の有志たちによって建てられた、廻り舞台や花道、奈落を備えた本格的な舞台で、見たところ2階枡席を含めて350から400名位は収容できそうな芝居小屋で、岐阜県の重要有形民俗文化財にも指定されています。曳山会館のホールは、明治座を参考に造られています。

 第二次大戦後、長らく途絶えていた加子母歌舞伎は、昭和48年に復活して以来、現在まで村の人たちの熱意と努力で続いているそうです。今年の演目は、寿式三番叟、浮世柄比翼稲妻・仲ノ町鞘当の場(小学生)、世迷仇横櫛・鳥居峠の場、友之助住家の場(中学生)、源平魁躑躅・扇屋熊谷が演じられました。

 保存会会長の中島敏明さん(中津川の市議会議員さん)にお話を伺ったところ、東濃地方には27の歌舞伎保存会があって、そのうち中津川には6つの保存会があるそうです。どの保存会も、子供や若手の後継者不足と資金不足に悩まされているそうで、加子母は現在も小学生・中学生で芝居が出来ているので、他の保存会からうらやましがられているそうです。

 名刺交換をして曳山会館のパンフを置かせてもらってもいいですか、とお願いしたところ、「遠いところからありがとうございます、どうぞどうぞ」と、笑顔で答えて下さったのが印象的でした。

今後、何かの形で交流ができればいいなぁ、と思いながら帰ってきました。(tonarino-oyaji)

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浄瑠璃公開講座

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大阪文楽の人形浄瑠璃因協会から竹本綾春さんを講師に招いて、今年も子供歌舞伎浄瑠璃教室が開催されました。

「本場の芸で技を磨く」という夏稽古の成果を、公開講座という形で発表するものです。

人間国宝クラスの綾春師匠は、おん年93才!鍛えられた声量や力強いバチ使いは、聞く人を感動させます。

来年西町が取り組む子供歌舞伎の外題、「本朝廿四孝・十種香の段」を朗々と語られました。

 bunsiti

 

太子講

8月22日、太田専念寺で太子講が開催された。

参加者約70名ほどで、真宗王国砺波の風土を実感した。

野にある南無太子像は石仏が多いが、専念寺の太子像は

木造である。砺波地方に246体確認しているが、木造は数体しかない

木造の場合、お堂が必要であり管理には手間とお金がかかる。

しかしお堂は、福野高校の国指定文化財厳浄閣を作った、藤井助之丞作であり

堂々としている。(odbtu)

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城端線と新幹線と大矢四郎兵衛と

20100818_1.JPGのサムネール画像 8月18日、城端線を考えるシンポジウムが曳山会館で開催されました。北陸新幹線の開通を控え、廃線の恐れのある城端線の存続と活性化に向けたシンポジウムで、前半は、沿線の福光・福野・井波・砺波工業・砺波・高岡南の6つの高校の生徒たちが、通学手段としての城端線の現状やアンケートの集計結果からの城端線の在り方、存続への思いを発表しました。

 後半は、高校生12人と県立大学准教授・小林一也氏とのパネルディスカッションが行われ、「早退したくても運行本数が少なくて早退もできない」「多少の運賃値上げをしても本数、車両数を増やしてほしい」「自転車を車内に持ち込めるサイクルトレイン化をしてはどうか」といった切実な願いや、若者らしい感性を活かした改善策が提案されました。

 また、このシンポジウムの1時間後、同じ会場で砺波・南砺市議会議員研修会が行われ、テーマが「北陸新幹線が走る前に考えておきたいこと」で、新幹線利用者が便利になるように、新幹線利用者を増やすために、高岡駅周辺をどう整備しようかとう講演会ですが、要は「新幹線よ早く来い」という内容です。

 シンポジウムと講演会を聞いていて、明治3DSC_0110.JPGのサムネール画像0年に開通した中越鉄道(現在のJR城端線)生みの親ともいうべき、初代中越鉄道社長・大矢四郎兵衛(鷹栖村出身)がこれを聞いたらどう思うだろうなぁと、思ったのでありました。明治30年といえば、北陸本線もようやく福井県から石川県に入った頃で、金沢駅など影も形もなく、砺波地方の人々も汽車を見たことのある人もほとんどいない時期で、富山県内初の鉄道事業が中越鉄道(城端線)だったのです。この鉄道事業が、砺波地方の産業や文化の進展に大きく貢献したことは言うまでもなく、まさに砺波地方発展の恩人なのです。

 1日で「陰と陽」「表と裏」「強と弱」のような話を聞いてしまい、「なんだかなぁ」という、なんともいえないモヤモヤ感が残った1日でした。(tonarino-oyaji)

曳山紹介「御車山祭」(高岡)

御車山祭.jpgのサムネール画像 5月1日の関野神社の祭礼に曳かれる曳山で、豊臣秀吉が御陽成天皇と正親町上皇を聚楽第に招いた時の鳳輦を前田利家が賜り、これを二代藩主前田利長が高岡城下七町に下して、慶長七年(1610)の祭礼に曳かせたのが始まりです。

 曳山は、高岡の町を開いた前田利長から下賜されたことから、「御車山」と呼ばれています。七本の御車山は、高岡の銅器、漆芸技術を採り入れ、様々な工芸品で飾られた豪華なもので、大車輪のキシミ音を響かせながら巡行する様は、まさに豪華絢爛という形容が最もふさわしい曳山といえるでしょう。(tonarino-oyaji)