出町神明宮の社の横に、小さな祠があるのを知っていますか。
通称「庚申様」と呼ばれている、猿田彦命を祀る猿田彦社です。猿田彦神は、天狗のような風貌で、導きの神、道の神、境の神とされていますが、江戸中期に庚申信仰と習合したことから、庚申様と呼ばれるようになりました。
創建は安政ニ年(1855)九月、其他不詳と、「砺波市史」「出町のあゆみ」には書かれています。しかし、同じ出町のあゆみの天保年間(1830-1844)の出町絵図には、出町神明宮から杉木へ向かう道の突き当たりに「庚申堂」が書かれています。この庚申堂と現在神明宮横にある庚申様は同じものと考えられますが、いつ頃移転したのかが、謎なのです。
明治八年の置県の資料には一切書かれていないそうですが、明治三十八年に、子供たちが自分の家から学校までの地図を書いた資料には、天保の出町絵図の位置に庚申堂があったそうです。明治三十三年の大火の時に移転した、いや昭和十九年の大火の時だ、という人もいるそうなのです。
安政ニ年創建のものが天保年間の出町絵図に書かれていること自体が第1の謎で、いつ神明宮の境内に移転したのかわからないというのが第2の謎なのです。そもそも両者は同じものなのか、安政ニ年創建説も、怪しいですね。(tonarino-oyaji)